Liao Cheng /
リョウジョウ / リョウチャン
聊 城
済南から済聊高速で2時間、120キロ。
詳細は 来来中国自作 青島地図
山東省地図日本語版
聊城は山東省西部に位置し、西は漳衛河と河北省の邯鄲市に近く、邢台市と水を隔てて相望み、南部と東南部は黄河を隔てて河南省及び山東省の済寧、泰安、済南市と隣り合わせ、北部と東北部は徳州市と接しています。聊城市は東昌府区、臨清市と冠県、莘県、陽谷、東阿、高唐を管轄しています。
聊城は交通が発達し、南北を貫通する京九鉄道と東西に連接する邯鄲、済館高速道路がここで交わり、山東省および全国の重要な交通枢軸となっています。
聊城市は国家級の歴史文化名都市で名所旧跡がたくさんあります。町の中央に聳え立つ光岳楼は黄鶴楼、岳陽楼と並んで中国三大名楼と呼ばれています。京杭大運河に向かって立つ山陝会館は規模が雄大です。清朝四大個人蔵書楼の一つ海原閣はかつて珍本古籍を22万冊蔵していました。その外に景陽崗竜山文化遺跡、運河の税関、東阿の曹植の墓、臨清の舎利塔、陽谷の獅子楼などたくさんの観光名所があります。聊城は独特の特徴を持った水の町で、市内にはわが国の北方で最大の街中の湖水―東昌湖があります。黄河、京杭大運河、徒駭河、引黄灌渠などの多数の川が町の中を流れ、水系は相通じて“町は水の中にあり、町の中に湖があり、湖の中に町があり、町、湖、河が一体になっている”独特の町の風貌は、江北の水の都と讃えられています。
聊城市は中国の歴史文化都市、中国優秀な観光都市、きれいな「中国江北の水城」で、山東省の西部、経済発達の沿海地域と資源豊富の内陸の結合部に位置し、面積が8715平方キロ、人口が590万です。
聊城市は優れた産業仲介を持っていて、自動車および機械加工製造、アルミと銅の冶金と加工、紡績、エネルギーと電力、紙とその関連製品、医薬化学工業、食品及び農産品の加工などは優勢産業です。
聊城市は中国の重要な交通要塞、中国北部の重要な物流集散地、現代観光とサービス業基地です。
聊城は、古跡が多く観光資源が豊富なところです。中外に名を知られた古代運河は龍のように市内を貫いています。聊城を囲む東昌湖は、面積4,2平方km、揚子江より北の都市では最大の人造湖です。明朝初期に建てられた光岳楼は“雖黄鶴、岳陽亦当望拝”(さすがの黄鶴楼、岳陽楼といえども、これに負けるであろう。)とたたえられたものです。古代の運河沿岸には宋代の鉄塔があり、その基盤の石彫りはすばらしく、生き生きとしています。
日本人観光客はまだ少ないが、
www.lailaichina.com が案内する
人気スポットは
景陽崗(景陽岡)観光区 武 松(ぶ しょう)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。:酒のため誤って役人を殺してしまった、という理由で柴進の屋敷に身を寄せ隠れていた。そこで逃亡してきた宋江と出会い、彼と義兄弟の契りを結ぶ。その後、殺したと思っていた役人が実は失神しただけで死んでいなかったことが分かったので、故郷の清河県に帰る途中、偶然出会った景陽岡の人食い虎を退治したことにより、陽穀県の都頭に取り立てられる。
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聊城市姜堤楽園 | |
東昌湖 | |
聊城市鳳凰苑農業科学技術園 | |
光岳楼 | |
山陝会館
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仏舎利宝塔 |
阿膠
阿膠はもう2000年以上の歴史を持っている。最初この名称は『神農本草経』に記載してある。唐時代の孫思邈の『千金翼方』や、明時代李時珍の『本草綱目』などで、阿膠の効用や薬理に詳しく述べられていた。阿膠は精がつき、血を滋養し、肺を補給し乾燥を潤し、血をやめ流産防止などの効用がある。近年らい、東阿阿膠(集団)株式有限会社は阿膠をはじめ、数十種の薬や滋養品を開発して、市場でよく人気がある。
キリギリス瓢箪
聊城の民間芸術品であり、長い歴史を持っている。その細工が精緻で、中国内外にもよく知られている。上等な瓢箪を選んで、その表に絵、彫刻、色つきなどによって制作されたものである。外観がきれいであるとともに実用もできる。収集や親友への贈り物としても理想な記念品であり、愛して離すに忍びないようになる。
赤棗
赤棗(大棗、円鈴棗とも称される)は聊城市の名産物であり、ここ数年来、年産量は千万斤以上にも達した。この棗は栄養に富んでいて、カルシウム、リン、鉄など人体が必要な物を含んでいる。生棗は100グラムにつきビタミンCの含有量は380〜600ミリグラムもあって、果物で一番多い。また、ビタミンBの含有量も一番である。生棗で燻られた黒棗(燻棗、膠棗ともいう)は清の時代からも全国でよく売られていた。1977年から外国に輸出されてきて、販路が広いものとされてきた。国内外で大変人気があって、「おかず食品」とされてきた。マレーシーア、シンガポール、アメリカ、日本などの国へ売れ行きがあって、国内外で広く知られている。
果実が充実で、色が鮮やかで、味が甘くておいしい。聊城の各商店や自由市場で売られている。
臨清の獅猫
臨清の獅猫は臨清の回民が白いペルシア猫を本地の猫と交雑して育てきたのであり、二、三百年の歴史もある。頬や頭の毛が長くて柔軟で、飛ぶことがうまくて、動作がすばしこい。その顔が獅子によく似ていることから「獅猫」という名を得た。『臨清県志』によると、「獅猫は普通の猫より体が大きい、長毛が地に垂れ下がり、雪のように真っ白である。目の色が違うのは高い。一番のは一対で数百元もかかる。北街の回族の人が多く養っていて、これは本当にすばらしい」。有名な画家曹克家はかつて「世界中の動物は目が異なるのはないが、ただ、山東省臨清に異眼の猫がいる」とほめた。毛の色から見れば、臨清の獅猫は四種類に分けられ、白獅猫、黒獅猫、花獅猫と鞭打刺繍たまりである。
購買地:臨清市内で獅猫を養殖している家にある。とくに、イスラム寺の周りに回族の集まり住んでいるところが多い。
選ぶとき注意すべきところ:毛色が真っ白で、体全体がまじりけもなく、目の色が青いと黄く獅猫が一番いい。
魏氏燻製鶏
老舎先生に「聊城鉄公鶏」と誉められた魏氏燻製鶏は、北関魏永泰が清時代の嘉慶十五年に創始されて、今まで170年の歴史もあった。そのとき、聊城は運河にりんじて、交通が便利だったため、商人たちが多く集まっていた。扒鶏をほかの地域へ販売しやすいため、魏家扒鶏店はこの長い期間保存できる燻製鶏を創造した。毎年の農暦十月から十二月にかけてロットで製造して、一年中の販売量を準備した。この燻製の鶏は肉がしなやかで骨まで柔らかく、味がおいしくて、口に入れたらその独特な香りが深長に残られる。一年中でも食べられるが、酒の肴としてもおいしいし、上品な美味や贈り物とされている。魏の燻製鶏の技術は代々に伝授してきたが、その創始者の第五代目の孫である魏立申は70歳の高齢で、心を込めて、子孫たちを指導している。厳格的に伝統工芸のとおりで、先進技術をも取り入れて、新しい設備で燻製鶏を加工している。だから、生産量や品質が次第に高まってきて、福建、広東、浙江、上海、北京、天津などに売られている。この燻鶏は水分が少なく、皮が縮み裂き、肉が外で見え、弾性もなくて、薬香が濃くて、色が黒くて光りて、においが鼻を突いてくる。保存期間は一年ぐらいである。