済寧
孔子のふるさと、曲阜(済寧市所属)はこちら
地図は 来来中国自作 山東省地図 日本語版
2012年、北京上海間、高速新幹線「高鉄」が開通された。
済寧市所属の曲阜東駅を経由して北京、上海へ。青島からも
曲阜への直行便が出来た(午後2便) 新幹線 青島曲阜(3-4時間) 曲阜北京(2-3時間) |
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注:
www.lailaichina.com
青島案内人
www.an-nai-nin.com は、 正規観光バス会社のバスのみ利用します。 済南-済寧:190キロ、3時間 済寧-曲阜:50キロ、1時間 |
済寧は山東省の西南の内陸部で、黄淮平原と魯中南山地の交わる所で、江蘇省、山東省、河南省、安徽省の交わる所です。東は臨沂市に連なり、西は荷澤市に接し、南は棗荘市と江蘇省の徐州市で、西北端は黄河を隔てて聊城と相望んでいます。済寧市は温暖帯大陸性季節風気候区に属しています。
済寧市は市中、任城両区と、エン州と、曲阜と、鄒城市と泗水、微山、魚台、金郷、嘉祥、文上、梁山の7県を管轄しています。再任の地理上の位置は優越していて、交通は便利です。京滬、京九、新石の鉄道が境域内を貫き、104,105,327,220の四つの国道が縦横に走っていて、京福、日東の両高速道路がここで交わっていて、京杭大運河が南北に縦貫し、済寧空港は軍民両用空港です。全市は四通八達の鉄道、幹線道路、水路、航空の立体交差の交通ネットワークを形成しています。
済寧の歴史は悠久で、文化は発達しています。済寧は太昊、小昊、伏羲、軒轅皇帝の故郷で、周漢両代に魯国のあった所で、著名な“孔孟の郷、礼儀の邦”です。済寧市は文物古跡が多いです。観光資源は独自の特色があります。国家級重点保護単位が7箇所、省級が50箇所、市級が百余箇所あります。“三孔”“四孟”、武氏祠漢画像石刻は海内外に名を馳せていて、魯国古城遺跡、周公廟、小昊陵、漢碑群、鉄山摩崖石刻などは比較的高い考古学的価値と観賞価値を持っています。水泊梁山と嶧山と微山湖は省級の観光風景名勝区となっています。石門山、尼山は国家森林公園です。済寧は全国人文景観、自然景観が最も集中した地区の一つで、著名な観光名所です。
水滸伝の舞台 梁山泊 は昔、荷澤の所属だったが、いまは済寧の一部となった。
水滸伝の舞台 梁山泊 入場料:60元
梁山泊:梁山景勝区と水泊景勝区からなっており、」「南山北水」の独特な地勢をなしている。唐の時代から『蓮台寺』『法興寺』で有名になり、とくに北宋時代、宋江らが108人の英雄たちが官軍と攻防戦を繰り広げる小説『水滸伝』で有名になった。当時の遺跡はそれほど多くないが、復元されたものが見学できる。
平原に突如現れた山。この山を登り切る。頂上付近に辿り着いたとき、1軒のお堂が見えた。「忠義堂」と記されている。北宋末期、この地に正義・忠義を尽くした男たちがいた。ここ、梁山泊を舞台に活躍した彼らの物語は明の羅貫中が編集をし直し、「水滸伝」として世に知らされることになる。この男たちの武と忠義の心を祭ったお堂。それが忠義堂である。梁山泊のシンボル・梁山の山頂に今まだひっそりと祭られている。
1、摩崖石刻:山門から入り、間もなく石刻摩崖に到着する。中に
中国書道協会の主席-舒同先生の書かれた大字「水泊梁山」は字径1メートルくらいで、梁山の象徴となっている。
2、断金亭:同心亭ともいい、《易経》の「二人同心、其利断金」の意味で、日本でも「断金の交わり」との言葉がある。7人の好漢たちを納入するため、王倫と仲間割れして争ったところ。
3、宋江馬道:断金亭から一つ細い山道があり、宋江馬道という。。
4、黒風亭、黒風口、李逵塑像:ここに道が狭くなり、関所となっている。その当時に黒旋風-李逵は守ったところ。
5、宋江寨:宋江が建築した山頂お城。
6、忠義堂:水泊の主体建築で、山頂に聳え立っている。唐の時代に梁山の周囲に寺院が多く建立され、一時的に仏教勝地の一つとなっていた。現在、復元工事が行われている。
7、水滸陳列館
ちょっと離れて、梁山の北麓に位置。画家が描いた水滸人物肖像など展示。宋江、林沖、魯智深、徐寧、武松、李逵、阮小七等の肖像はいきいきとしている。
《水滸伝》:中国古代四大小説の一つ。北宋の末期に北方の騎馬民族との戦争で、大軍を動員したりしたため、多くの国費を費やして、人民の生活は苦しくなり、重い租税と労役に反抗する蜂起が全国各地で起こり、その中で水泊梁山を根拠地とする農民一揆の影響が一番大きかった。元代、施耐庵はこの農民一揆を手本に《水滸伝》という小説を著した。水泊梁山の好漢たちの仁義の世界を中心に、封建社会の義理と人情の相剋による人生の悲劇を描写したものが多く、人々に深い感動を与えた。今でも愛読者が多い。
孟子廟、鄒城博物館 などは、曲阜をご参照。
嘉祥武氏祠墓群石刻
済寧嘉祥県にある。石刻、画像が内容豊富で彫刻が精巧で我国の芸術珍品として有名。石獅、石碑が現存。東漢時代の石刻芸術が1900年近くの歴史を持つ。世界の学者の注目を集めてきた。
蕭王荘漢墓群
今まで1900年の歴史がある。当時の済寧地方の王様と王後のお墓。お墓の外壁に1900年前の石刻があるのは蕭王荘漢墓群の特徴である。
鉄山摩崖刻経
城市北西の鉄山に位置している。巨大な岩石に刻まれている。南北長66.2メートル、東西・6.4メートル、面・08.5平方メートルである。「経文、石頌、題名」三つの部分からなって?600字余り刻まれている。隷書で、清朝乾隆年間のもので、黄易によって発見された。
太白楼
李白がよくここでお酒を飲んだので,太白楼と呼ぶ。1200年以上の歴史を持つ。二階立ての建物で15メートル高い。中には「李白」「杜甫」「賀知章」三大詩人の銅像がある。又,名人の詩文と書画がいっぱいある。今「李白記念館」として有名。
済寧鉄塔
900年の歴史を持つ。全部で9階ある。23.8メートル高い。仏像が36尊がある。建築ラベルが高い。我国の珍貴的鉄芸術遺産である。
東大寺
大運河の西側にあル。規模があるイスラム教のお寺。中国の明の時代の建物で約400年の歴史がある。外観が壮大、内装も優雅。2000人一緒に礼拝できる空間を持っている。龍と鳳凰の図案の対応で素晴らしい。
石碑帳
石碑拓片(石摺りにした図片)は中国で広く伝えられてきた伝統的な手工芸であり、映像製版、印刷技術がまだ発展になっていないとき、およそ史的事情や政令、賛辞銘文、詩詞書画など名人の筆跡は、碑文が数多く保存されてきた。貴重な資料でもあるし、書法の手本でもあるため、石碑帳は歴史や文字の変化を研究するなどに特に重要な参考価値がる。曲阜は
中国で石碑の三大産地のひとつで、碑刻5000余りあって、歴代の書法名作を集まっている。曲阜にある石碑帳は1000種以上に達し、漢、魏、六朝のものが多く、張庭、米芾、張孟俯、董其昌、翁方鋼など歴代の名家が題する石碑の精拓本もある。そのうち、史晨碑、乙瑛碑、成化碑、張猛龍碑が一番有名である。碑帳拓本は、文化史料であるとともに、商品でもあり、その売れ行きが非常に広い。
トリハハゼノキ(楷木)彫刻
トリハハゼノキ彫刻は曲阜特有の工芸品であり、トリハハゼノキ(曲阜に孔子の墓地に植えている樹)の根を原料として彫刻されたのである。トリハハゼノキはすなわちトネリバハゼノキ(黄連木)で、多年生落葉性の高木である。その木は幹が粗大で、枝がまばらだが曲げてなく、木の質が柔軟で強く、木目が細い。色が金色で、長持ちにできるため、彫刻工芸品の上等な原料である。曲阜の彫刻品は大まかに杖、如意、筆置き、筆立て、人物、神龕、冥器など八類が分かられ、特に、杖と如意が細工が精緻で複雑であり、値段もすごく高い。それは歴代にわたって孔府が皇帝に献上される貢物である。この彫刻工芸は清の時代末年に、次第に立派になっていて、其の特有な芸術風格をなっていた。それは、根枝の自然形態に従うことが大切にし、人物、鳥獣や花木の「元気の精」を描写するのに力注いでいるのである。その彫刻刃法は簡潔できれいで、力があっている上に、自然的で流暢である。
尼山硯
その原料としての石が孔子の出身地である尼山から名を得手、表にオレンジ色を呈している。密度が一様ではないが、黒色の松の葉のような紋様が満ちていて、それは縁側がより密度が高いが、内部がだんだんまばらになっていて、中心部がなくなる。その周辺部が何が年間の風化作用で、層をなしていることから、「千層餅」とも称されている。石材の質が硬くてしなやかである。手で触ると、すぐ湿気が出てくる。その石材は甚だしく稀なことで、なかなか手に入りにくい。
拓溝の土陶
拓溝の土陶生産はもう2000年以上の歴史を持っている。その原料は泗水県拓溝あたりに独有している五色陶土(白、赤、緑、黄色、鼠色)である。この土は陶器作製に適しているだけでなく、鋳造にもよく用いられている。土陶製品の作りはやや複雑で、おおよそ土を干す、泥を澄ませる、弓形紋を削る、火で焼くなど10あまりの製造プロセスが必要する。拓溝の土陶製品はほか地方の土陶に比べ物にならないほど、質がしなやかで、酸やソーダに強くて、水がしみこまない、湿気られない、ぶつかることに強いなど特質を持っている。
微山湖のオニバス
また鶏頭米とも称されて、多年生の草本植物である。明の時代まで、微山湖のオニバスは野生のものであり、清の時代から人工栽培が出てきた。その花が濃く紫色で、葉が丸い盾形であり、葉の裏や、葉柄、果実、果柄などすべて堅い刺を密生している。微山湖の底に、ごく厚い沖積泥が積もっていて、地味が肥沃で、オニバスの成長にいい。出産されたオニバスの実は大きくて、充実していて、栄養も豊富で、あっさりした香りでひあたりがよい。滋養剤であるとともに、薬材でもある。李時珍氏は『本草綱目』で記載されたように、オニバスが急病を除かれ、精力を増加され、意志を強まれ、目から鼻へ抜けられる。主に、脾胃虚弱、腹下し、遺精およびこしけなどの病症を治される。日本、香港、澳門、東南アジアなどでよく売られている。
微山湖の四鼻鯉
山東省だけある淡水養殖魚である。普通の鯉との違いは、その口の上に二つのひげがあって、鼻の穴とよく似ていることから「四鼻鯉」という名を得た。微山湖には魚のえさがとんでいて、湖の魚の成長によく適している。その大きなものは20キログラムもある。この鯉は形体がきれいで、背鰭や尾鰭が鮮やかな赤い色であるが、その体の両側が金色である。
中国では鯉を縁起のよい動物とされているため、とりわけ四鼻鯉が好きである。微山湖一帯でこの鯉も宴席で欠けない上等なごちそうである。
微山の麻鴨
微山県の特産品である。微山の麻鴨は黄黒色で、体が大きいが、くちばしが小さくて、首も短い。それは臆病なもので、群れが好きである。小魚や小えび、タニシ、ニナ、サザエなど動物性の飼料や海藻類の実などを食べている。一般的に二尺ぐらいの湖水で食べ物を探す。麻鴨は寒さに強くて、伸びるのも速くて、孵化されたから産卵までやく130日である。産卵量が一年で180〜200個で、その卵が平均70〜90グラムである。麻鴨の肉が歯切りがやわらかくて、肉も厚いから、焼鴨や板鴨、香蘇鴨などにすれば、味が非常においしい。微山の麻鴨は肝の重さもほかのあひると比べて、100〜200グラムで重い。フランスやイタリアなどの飼養専門家の鑑定によって、微山の麻鴨の肝は世界でも優れている。その卵で加工された「龍缸ピータン」は国内外でもよく売られている。
微山のピータン
微山湖の特産品である麻鴨の卵で加工されたもので、今からもう100年以上の歴史があり、もともと「龍缸糖心ピータン」と称される。それは上等な生卵を選び、伝統的な方法で調和して加工されたのである。そのピータンは大きくて、殻をとけば、完全で欠けるところがない。その白身が半透明で、赭褐色あるいは緑褐色であり、表に完全な松葉の像が見えられることから、「松花卵」と言われている。その黄身が「五彩糖心」を表れ、糖心がやく黄身の三分の一を占めている。また黄身が油に充ちて、味が非常においしい。それに、携帯しやすい、貯蔵に耐えるなどの長所もある。
微山の羽絨
微山の羽絨は微山県の特産品であり、「綿羽」とも称される。アヒルやガチョウの絨は正羽の根底に合って、体を保護することや、体温を保つなどの役割がある。微山の羽絨の特色は主に次のようである。羽の枝がごく細くて、やわらかい;羽小枝が細長くて稠密であり、油の量もより少ない。南地方の羽絨と比べて、特に寒さにしのぐという点で優れている。
汶上のクロクワイ
汶上でクロクワイを栽培する歴史が600年以上もあった。そこで出産されたクロクワイは大きくて、皮が薄くて光沢(濃く棗色)もある。平均一つは15グラムで、大きいのは20グラム以上もある。その肉質が真っ白くてしなやかであり、歯きりがあっさりで、氷砂糖の味もある上に、かすもない。また、咳をとめ、痰をなくす役割もある。
済寧の青キッド
これは貴重な軽やかなこわごろもである。これは小山羊の皮を原料として、心を込めてなめしたのである。このようなラムスキンは生まれたから1〜3日ぐらいの子羊を殺して得たものである。その花柄が非常におおくて、きれいで上品である。毛色は黒、鼠色、白三種類からなっていて、むらがない。その色がさっぱりしていて気品がある。また、この三つの色の組み合わせや比例によって、濃いや浅い色になっていて、青黒い色や、濃青色、青い、浅青色、薄青色などがある。そのうち、一番貴重なのは青色である。小羊の皮はなめされてから、薄くて柔らかくなって、手で触るとシルクのように感じられる。その毛糸が細密で、光沢度も高く、粘られなくて、束にもならない。それに、塵も変な味もなくて、自然的に曲げている美しさを保っている。水洗いにも強くて、引きに耐えていて、暑さにも強い。温度は85度まで、やわらかさなども少しも減られない。青いキッドで毛が表にする製作さらったコートやハーフ工―ト、春秋服の飾りや襟、毛布、布団などは、清新で精緻であるとともに、きれいで上品である。
嘉祥の白菊の花
嘉祥の特産品であり、済寧を経て運送されることから「済菊」とも称される。嘉祥では菊を栽培する歴史が長い。土質、気候、水肥および世話方法によって、花が大きくて白く、香りが濃いという特徴になっている。
嘉祥の菊の花は寒性で、味が苦い。揮発油、コリン、イタゴソーダ、ヤグルマギク・グリコシド、アミノ酸、プロゲステロン、ビタミンB1などが含まれている。その主な薬理作用は病原体に抵抗し、毛細管の抵抗力を増加することである、寒気を緩め熱を散らせ、肝を清め目をきかせるとともに、できもの毒、頭痛、目が赤い、喉が腫れ痛み、目眩や耳鳴りなどの病症も治ることができる。
金郷の紅花(ベニバナ)
ベニバナは金郷県の名物で、清時代の乾隆年間からも栽培してきた。うつ血を取り去り血液の循環を進め、メンスを順調にする効用を持っている。ベニバナは一年生の草本植物で、夏に開花する。その花は上部に頭のような花序で、全部管のような形である。その色が赤いみかん色のことから、「紅花」と称されている。金郷のベニバナは色が真っ赤で鮮やかであり、質がやわらかく、油性が充ちている。臨床の応用によって、その薬の効果はわずかに
中国で有名なチベットベニバナに次ぐ。