Ji Nan
/ サイナン/チーナン
済 南
済南市は山東省の省都で全省の政治、経済、文化、科学技術、教育の中心で、全国特大都市の一つです。済南市は山東省の中西部に位置し、京滬鉄道(北京―上海間)と膠済鉄道(青島―済南間)の交わる所で、“世界自然文化遺産”である泰山に南面し、北は“中国民族の母なる河”黄河に寄り添っています。済南市は現在脂コ区、市中区、槐蔭区、天橋区、誌驪諱A長清区、章丘市、平陰県、済陽県、商河県を管轄しています。
済南は泉が有名で、「72名泉」がある。足勺
突泉(ほうとつせん)、黒虎泉、五龍泉、珍珠泉など数多くの泉が多くの観光客を引きつけています。済南市の風景を描く詩には「四面荷花三面柳、一城山色半城湖」の一句が有名です。
済南は山、泉、湖、河が集まり一体となった独特の地理的風貌をもっていて、名所古跡が多く、
中国歴史文化有名都市で、“泉城”(泉の町)の美称があります。
2007年の青島済南新幹線(動車)、2012年、北京上海高速新幹線(高鉄)の開通で、交通がもっと便利になりました。山東航空の済南関西直行便が、2012年9月より週3便が運行されています。
済南市の市花は「蓮の花」、市木は「しだれ柳」です。
2016年8月より、山東航空による済南羽田の直行便が開通されました(SC8888)。
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(ホウ トツ
セン)
入場料:40元
ホウ突泉公園は済南市の中心にあり、南には千仏山、北には大明湖、東には泉城広場があ、面積が158ムー(1ムーは約6.7アール)、泉を中心とする特色ある園林。公園には「天下第一泉」と賞賛されたホウ突泉があり、ホウ突泉も済南七十二名泉の第一と言われている。ホウ突泉は公園の中心で、泉の池は東西30m、南北20mで、三つの泉が湧き出し、水は清らかで透き通っている。泉の周辺は四つの大きな石が取り囲み、そこから湧き上がる泉を見ることが出来る。ホウ突泉の周辺には著名な金線泉や、漱玉泉、馬跑泉、柳絮泉など27箇所の名泉が分布し、ホウ突泉泉群を形成している。ホウ突泉周辺の名勝・古跡は数多く、娥英祠、望鶴亭、観瀾亭、尚志堂、李清照記念堂、滄園、白雪楼、万竹園、李苦禅記念堂、王雪涛記念館などが有名だ。
ホウ突泉景観は奇異で、「ホウ突騰空」(湧き水が空中に舞い上がること)は済南の八景の一つ。伝説によると、乾隆帝が江南へ行った時、途中ずっと北京玉泉水を飲用したが、済南でホウ突泉の水を試飲してから、飲用水をホウ突泉の水にし、玉泉を「玉泉ホウ突」と改名し、ホウ突泉を「天下第一泉」と封じた。1956年、ホウ突泉は修復して、周りの各小さい泉とともにホウ突泉公園になり、泉都済南のシンボルと済南三大名所のナンバーワンになった。週末になると、公園の中に、京劇や地方劇の愛好者が演じる姿時々見える。
■豆知識:なぜ済南市に泉が多い:済南市の南にたくさんの山がある。泰山山脈の余脈である。済南市は泰山山脈から黄河沖積平原への傾斜面に位置するので、南北の落差が500mぐらいある。
泰山の石質は可溶性石灰岩である。たくさんの大気降水と地表水を吸収して、石灰岩の地下川を通して北へ流れ込む。その流れが黄河あたりの硬質の花崗岩に阻止され、水平運動から垂直運動に変わる。昔市内にたくさんの天然泉があったが、近代、重工業の発展と人口の増加で水が枯れるところが多い。
■豆知識:中国の女性詩人
李清照:
南宋の有名な女流詩人で1084年生まれ、約1151年なくなった。号は易安居士、済南出身。父李格非、母王氏は皆博学の名人である。幼いときから両親の影響を受けて多芸多才である。「一代詩人」と呼ばれ、当時の男にも負けない詩人で婦人の誇るべき人物である。詩の内容として、前半は自然の美と男女の愛が主体であるに対して、後半は別離と人生の無常が主体である。詩集《易安居士文集》、《易安詞》。
大明湖
(ダイ
メイ コ)
入場料:40元
入場料:30元
ただし、南門散策コース無料
大明湖は済南市街区の中心、旧市街の北部にあって、ホウ突泉、千仏山と並んで、済南の三名所と言われている。2012年、周辺の改造工事が終わり大変よく整備される。南の部分が無料入場できる。公園の面積は、86ヘクタール、そのうち湖が46ヘクタールを占めている。
大明湖は、市内の多くの泉水が南から流れこんでできた天然の湖。湖には歴下亭、江泉堂、湖心島など大小さまざまな島が6つある。自然の風景はとても美しい。湖水は冴え、魚が泳ぎ、舟が行き来する。「四面荷花三面柳、一城山色半城湖」と描写されるように、大明湖では、蓮の花がいっぱいになり、湖畔には柳の木が茂ている。さまざまな建造物もあり、歴下亭、鉄公祠、南豊祠、北極廟など30数ヶ所の名所旧跡がある。
大明湖の中心、歴下亭島は、海右古亭によって有名。唐代の詩人杜甫が天宝4年(745年)書道家の李ようと一緒にここで酒を飲んだ時、即席で「海右此亭古、済南名士多」と詠んだことから歴下亭は天下に知られるようになった。
大黄河 黄河公園
入場料:10元
済南の北に黄河が流れているため、済南旅行の際、 中国文明の発祥の黄河を見に行ってはいかが。黄河を観光地化にしたのは、2007年黄河の南岸に長さ50キロの公園を建設された。特に洛口エリアは『黄河の窓口』と称され、毛沢東、周恩来、とう小平、江沢民等も視察した。河から堤へ高柳、枝垂れ柳、スモモ、ポプラ、銀杏など緑化植物が続く。日本では見られない風景、堂々と流れる黄河をぜひ見ておこう。
■豆知識:黄河(こうが):中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで
中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く世界では5番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、
中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。黄河の下流域は中原と呼ばれる。この地は黄河文明発祥の地であり、過去に歴代王朝の都が置かれた。黄河は上流・中流で黄土高原を通り、多くの支流が流入するため、大量の黄土を含む。
黄河の上流
砂は年間16億トンと言われ、その土砂の堆積により、河口付近には広大なデルタ地帯を形成している。黄河デルタについて、
来来中国の資料:東営観光へご参照。
千仏山 (センブツサン)
入場料:35元
日本が寄贈の金箔仏像
メインな寺院
興国禅寺
千佛山は別名
歴山、舜山。大昔「舜」帝がここで耕したと伝われます。高さ285m、面積110ha、済南市内三大名勝地の一つ。
主な見所は、ふもとにある「興国禅寺」です。隋の時代に建てられ、唐の時代に拡大された。崖の壁にたくさんの仏像が彫刻された事から「千佛山」と呼ばれるようになった。文化大革命のときほとんど壊され、現存130ぐらい。
千仏山は済南市の南に位置し、都心部に近い。寺院と松柏とは互いに引き立ったりし、赤、白、青、緑など、いろんな色が調和をとっている。南の北魏黄石崖造像、仏慧山像、開元寺遗址なども千仏山景勝地に属するようになった。1995年には全省七大風景の一つとして挙げられた。
万仏洞(仏像のミニチュア)〜ロープウエイに乗ることができ、
東に日本が寄贈の金箔仏像が見られる。
■周囲の仏像:
大仏頭 千仏山の東3キロのところに仏慧山があり、唐代創建の開元寺遺跡がある。中腹に高さ約10mの大仏龕が見える。全体が四角の石を積んでつくってあり、上に「大雄宝殿」の4字が刻まれている。内部に高さ7.8.幅5.4の仏頭、一般に大仏頭と呼ばれる。製作年代には唐の天宝年間説と北宋の景祐年間説がある。
黄石崖
千仏山の南の螺糸頂主峰の西側にある。黄色の岩の断崖に高さ約10m.奥行約30mの石窟が一つと大小10個余の仏龕があり、合計75体の仏像を侍者や飛天が彫たれている。製作年代は北魏の523年方東魏の540年とされている。保存状態は良好である。飛天や光背その他の図案をも含めて、いずれも高い価値。
山東省博物館
入場料:無料。ただし月曜日休館
済南の東部に、中国一流の博物館が建設されました。2010年10月開館!
山東は中国文明の重要な発祥地の一つで、全国でも指折りの文化大省。山東省博物館は新 中国成立後最初の大型総合地志博物館で、所蔵する文物は20万点余りを誇っている。とりわけ陶磁器、青銅器、甲骨文、木簡、漢画像石等に特色を備えている。新館の面積15ha、主体建築面積は8万u、に及ぶ。主体建築のデザインには 中国伝統文化の天円地方(天が丸く地が四角い)、天人合一の理念を取り入れ、ほう突泉が噴出する様子をイメージした。
2012年山東省博物館は現在14の展示ホールを開放し、その内容は漢代画像芸術展、仏教造像芸術展、孔子文化展、山東歴史文化展、明代魯王展、博物館所蔵画展に分けている。
来来中国
www.lailaichina.comが特別見学や日本語案内も手配できる。
博物館詳細資料の一部 ご請求はこちら
新館所在地図
日本で名高い高貞碑、高慶碑 山東省石刻博物館
入場料:20元
ただし 事前特別手配必要。
済南市内にあり、山東省で発見された有名な石碑が保存されている。1981年に設立され、
中国初めての石刻専門博物館。漢の画像石や石碑が多く、日本の書道専門家達にも好まれ、書道研究に価値がある。主な石碑は北魏時代の「高貞碑」、「高慶碑」。見学客が少ないため、普段は開館しない。
www.lailaichina.com
来来中国の特別手配で見学できる。石碑は大きいため、民居アパートの庭に置いて、保存状況はよいと言わない。
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普通のツアーでは行かないが、面白いかも?
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青島案内人
www.an-nai-nin.com が無料でご案内します。
済南 大観園 (ダイカンエン)
1932年に済南市街地の中心に建てられた民俗街、ショッピングモール。古風な作りで庶民的な雰囲気。南京の夫子廟、上海城皇廟などをも干し、灰色のかわら、白い壁、赤い柱の装飾が代表的。済南下町
芙蓉街と並んで「老済南」のイメージである。
1930年代に、酒場、飲食店、雑貨店、遊郭、映画館がひしめき、200の商店があり、さらに漫才館や雑技、手品、サーカスなどがあり、大変にぎやか。文革のとき一度廃れたが、最近改造され昔のにぎやかさが戻った。済南旅行の際、夕食後の散策にはいいだろう。来来
中国
が良く利用する済南貴都大酒店4星、2012年オープンの万達凱悦ハイアット5星から徒歩でいける。
済南 芙蓉街 (フヨウガイ)
古い下町を改造し、済南市の歴史文化を保存するためできた民俗区。芙蓉街は河がさらさらと流れ、垂れ柳がなよやかになびいている。建物が古風で素朴である。芙蓉とは「蓮」のこと、済南市の市花である。芙蓉街の泉水と街道も皆「芙蓉」にちなんだ名前をとる。建物の大部分は明清時代のものである。2010年改造後、伝統的飲食「小吃」や各地方料理が集まる場所ともなっている。
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ちょっと足を伸ばして、済南郊外半日や日帰りコースを楽しもう
霊岩寺
(レイガンジ)
入場料:45元
霊岩寺は済南市内から50分、泰山南側に位置し、古来より「霊岩に至らず、泰山の旅にならぬ」と言われるほど有名。霊岩寺は
中国仏教発展の歴史の中では重要な地位を占めて、浙江天台国清寺・江蘇南京栖霞寺・湖北江陵玉泉寺と並んで、
中国四大名刹だと讃えられた。1982年全国重要文化財に指定された。
東晋時代永興七年(紀元351年)から僧侶-朗公がここに住み始め、説経したときに「猛獣帰服、乱石うなずき、遂に霊岩と名する」、北魏時代正光初年(紀元520年)法定禅師は仏寺を作り直し、霊岩寺と名づけた。宋の時代にもっと強盛になり、僧侶は千余人に達していた。
見所はいっぱいあるが、有名なのは:
千佛殿:霊岩寺の主体建築で、保存最高最大の建築で、唐貞観年間(627~649年)に造成、殿内に四十体高さ101-120センチの羅漢と高僧たちの彩色泥塑像が安置され、これらの塑像は現実人物を基礎に、喜怒哀楽を類似なく生き生きと表現している。
辟支塔:唐の天宝十二年(753年)に建立して、北宋の嘉祐年間に修復した。塔の基礎は石造りで、周りに浮き彫りの地獄場面が彫られている。塔の本体はレンガ造り八角九階、高さ54メートルもある雄壮なもの。
墓塔林:唐の時代から清の時代にかけて霊岩寺の住持僧の墓塔百六十七基ある。これらの塔は形が多様で、造形が優美で、数量が多く、国内で珍しい。墓塔林に北魏・唐・宋・金・元・明の遺物が多く、現存墓塔167基墓誌銘81通。少林寺の墓塔林に匹敵するが、石造が多く、
中国一である。うちは、日本和尚血ウは元至正元年(1341年)に霊岩寺第39
代住持―息庵禅師のために選集した《息庵禅師道行碑記》があり、題字:「日本国山陰道但州正法禅寺住持沙門血ウ撰並書」、日中友好のシンボルであろう。
済南郊外の章丘にある古集落〜 朱家峪 (シュカヨク)
済南市東南部の郊外、章丘には小さな山村――朱家峪がある、明清時代の古村で、もう六百年の歴史がある。村の三面は山に囲まれ、樹木が多く、泉が多く、橋も多く、お寺も多く、美しい環境を持っている。村の古い建築と農家はそのまま完全に保存されている。村の中で散策したら、道端で落花生や蠍、玉子やお茶などを販売するのが見える。農家でホームスディーもでき、山野菜などの美味しい農家料理が楽しめる。
済南郊外の仏像 四門塔、神通寺、九頂塔、千仏崖
四門塔
神通寺遺跡の東側にある。単層方形の石塔で、成立は隋代の611年、この形式の石塔としては
中国最古である。高さ約15m、平面は1辺7m余の方形、四面にそれぞれアーチ形の門があるのでこの名が彫刻されている。
神通寺遺跡
千仏崖方東へ行く通天峪である。ここは元末の戦乱に焼かれてしまった神通寺の跡で、仏塔と石刻造像が残るの実である。4世紀半ばに高僧の竺僧朗が太山西北に谷に隠棲し、時の権力者たちが伽藍をつくったのがこの寺の起源で、もとは朗公寺とよばれていたが、時隋の煬帝のときに神通寺と改称。
九頂塔
四門塔から西南へ行くと霊鷲山に到る。その西麓に九塔寺の旧址があり、その境内に九頂塔がある。唐代の創建である。単層八角で平らな屋根の八つ野角にそれぞれ3層で高さ2.84mの方塔が建ち、中央に同じ形状であるが高さ約5.3mの塔が建つという珍しい塔で、通高13.3mである。南面に仏室があり、仏像1体と僧侶2人の彫刻がある。
千仏崖造像 柳埠鎮の東北、白虎山東麓にある。南北約65Mの断崖に大小百余の窟は五つある。仏像は210体余がある。唐の太宗李世民の第3女南平公主が657年に父のためにつくたものは、千仏崖に最も優美な造像に一つ。